最新式納骨堂「三田霊廟」や御府内八十八ヶ所霊場でも知られる「龍生院」の特徴・口コミは?
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こんにちは!
本日は、三田高野山弘法寺龍生院について取り上げてみます。
読者の皆さんは三田高野山弘法寺龍生院に関してどんなイメージを持っているでしょうか?
御府内八十八ヶ所霊場の一つでもある龍生院は、弘法大師に縁ある寺院であり、弘仁7年に創建されたと言われています。
都内にあるためアクセスもしやすく、気軽に訪れやすい寺院としても知られています。
そんな龍生院とは、どのような寺院なのでしょうか?
今回は龍生院の特徴から、実際に訪れたことがある方の口コミもご紹介していきたいと思います。
これから御府内八十八ヶ所霊場巡りを始めようと検討されている方や、御朱印帳集めを行っていて龍生院の御朱印が欲しいという方なども、ぜひ龍生院について今回の記事を通して知ってみてはいかがでしょうか?
知られざる龍生院の魅力について知りたい場合は、ぜひ参考にしてみてください。

三田高野山弘法寺龍生院について

三田高野山弘法寺龍生院とはどんなお寺なのかご存知ですか?
馴染みがない方も多いと思うので、まずは龍生院の歴史やお寺の様子などをご紹介していきましょう。

■三田高野山弘法寺龍生院の歴史

三田高野山弘法寺「龍生院」は、東京都港区三田にある寺院です。
創建されたのは弘仁7年(816年)で、弘法大師空海が紀州・和歌山で高野山御が開創されたと同時に、声明の道場として建てられました。
しかし、天保13年(1842年)に本山とする高野山の火事により焼失し、明治24年(1891年)に渡辺貞浄尼により現在の土地に移動させています。
各駅から徒歩10分から15分と少し歩きますが、JR田町駅や都営地下鉄浅草線三田駅、大江戸線赤羽橋駅からアクセス可能です。
移転にされてから三田で1200年以上も法燈を受け継ぎ守り続けながら、大師信仰と現代社会を組み合わせて次の世代へともしびをつないでいます。

■龍生院内の様子について

平成26年(2014年)に龍生院は新しく建築されており、寺院と納骨堂である「三田霊廟」が一体化されており、一般的な寺院とは少し離れた近代的な建物となっているのが特徴的です。
5階建ビルのような佇まいに初めて訪れる人は少し驚いてしまうかもしれませんが、建物の中に入ると床や壁が高級感ある大理石となっているエントランスが現れ、そこで御朱印を受け取ることができます。
ちなみに龍生院はグッドデザイン賞や省エネ・照明デザインアワード賞を受賞しており、デザイン性の高さを評価されています。
1階と4階は納骨堂と参拝室、2階は副本堂、そして3階に龍生院の本堂が設けられています。
本堂は一般的なものと見た目は変わらず、梁や柱は旧本堂のものを使用しているので再建前の面影もしっかり残っており、落ち着いた雰囲気です。
室内にあることから天候が悪い日もお参りがしやすいことがメリットでしょう。
また、龍生院は写経や座禅といった寺院ならではの体験教室が実施されており、他にもヨガ教室なども開かれ地域の交流の場にもなっているようです。

■御府内八十八ヶ所になっている

龍生堂は東京都内にある御府内八十八ヶ所の第十三番札所に数えられており、山門の石段の手前には礼所を示す標石があります。
御府内八十八ヶ所が開創された時は別の場所にありましたが、被災により諸仏と一緒に龍生院に移転され、礼所として継承されました。
近年は若い女性を中心に御朱印集めがブームとなっているので、御朱印集めを目的に訪れる人も少なくないでしょう。

■三田にまつわる伝説が残っている

三田は酒呑童子の伝承があることで知られている場所で、現在でも綱坂など伝承にまつわる地名が残されています。
酒呑童子とは大江山に住んでいた酒好きの鬼の頭領で、盗賊の頭目という説もあります。
その酒呑童子の退治に関わった平安時代の武将が渡辺綱で、龍生院には渡辺綱にまつわるものが境内にあり、それも歴史好きのファンから注目されているようです。
渡辺綱は源氏氏族の一つである嵯峨源氏・源融の子孫で、源頼光四天王の一人にあたります。
龍生院は渡辺綱の屋敷跡に建てられており、境内には渡辺綱が産湯に使った水を含んだ井戸が史蹟として現在も残されているのです。

■龍生院でできること

龍生院では納骨や永代供養、法要をお任せすることが可能です。
法要に関しては葬儀から法事まで承っており、遺族の負担を抑えつつ故人を見送ることもできるでしょう。
参拝は10時から19時まで可能で、年中無休なのでいつでも参拝することが可能です。
お花やお香は寺院で用意されているので、御朱印集めを目的にした方や気になって立ち寄ってみた方も気軽に参拝することでできるでしょう。
龍生院がある三田2丁目は東京都が行う「地震に関する地域危険度測定調査」で、トップクラスの安全度と結果が出ており、建物自体も高度な耐震基準をクリアしているので遺骨は安全な環境で保管されています。

そもそも三田高野山弘法寺とは?

龍生院は三田高野山弘法寺となっていますが、三田高野山弘法寺とは簡単に説明すると高野山真言宗に属しており、本尊を弘法大師にしている寺院のことです。
そもそも高野山真言宗や弘法大師とは何なのかご紹介しましょう。

■高野山真言宗について

高野山真言宗は高野山宗や高野山派と呼ばれており、弘法大師が平安時代初頭に開いた「真言宗」の宗派の1つです。
真言とは仏の言葉や真実の言葉という意味がありますが、これらの言葉は世界に隠された秘密であり、それが真実として知ることができる教えが密教と弘法大師は考え、真言密教の教えを主張した教団となります。
真言宗は大きく分けて古儀を重んじる金剛峯寺派と、新義を重んじる大伝法院に派閥が分かれ、現在金剛峯寺は高野山派の総本山となっています。
思想に関しては大きな違いはないものの、作法やお経のイントネーションなど少し違いがありますが一般人にはほとんど分からない違いで、宗派の成り立ちに違いが見えてくるでしょう。

高野山は嵯峨天皇から弘法大師に下賜され、もともとは修法と門弟の教育が行われていました。
明治政府の政策で他の宗派と合同しますが、1900年に真言宗高野派で独立、また古義真言宗と新義真言宗が1941年に政府の政策と合同して大真言宗が成立するものの、1946年に現在の高野山真言宗として独立しています。

■弘法大師とは?

弘法大師は真言宗の開祖で、空海の名で知られている人物です。
出身は現在の香川県善通寺市で、地方豪族の佐伯田公の息子として生まれ、18歳の頃に官僚を目指しますが、20歳の頃に仏教の道を歩むことになります。
四国の仏道修行をしている時、高僧の最澄らと共に唐へ留学して恵果という青龍寺の高僧を師事に密教を2年で学び、真言宗を開いて真言密教の教えを日本に広めていったのです。
嵯峨天皇は空海を高く評価したことで高野山を下賜し、さらに823年には東寺も与えられて平安京でも活躍を広めます。
それからも地方で宗教活動を行い、また庶民を支える事業を積極的に行い、人々の触れ合いの中から彼を祈りの対象として信仰する人も増えていきました。
全国各地にあるお大師様(弘法大師)にまつわる寺院は信仰対象の名残とされています。
四国では四国八十八箇所がありますが、これは空海が青年期に山修行で四国各地を巡っていたことが遍路のベースとなっています。

御府内八十八ヶ所霊場としての龍生院

龍生院は東京都港区に所在する「御府内八十八ヶ所霊場」の一つでもある寺院です。
弘法大師に縁ある八十八ヶ所の寺院を参詣するもので、弘仁7年に創院されました。
御府内八十八ヶ所霊場は東京の遍路コースとして知られていますが、ここに龍生院が創建された役割について解説していきましょう。

■御府内八十八ヶ所霊場とは

龍生院が創建されている御府内八十八ヶ所霊場は、八十八ヶ所の寺院を祈願する東京版のお遍路コースです。
江戸時代に現在の皇居を意味する江戸城を中心とした品川・四谷・板橋・千住・本所・深川までのエリアを御府内と呼んでいます。
現在はお寺の移転によって少しずつ範囲が広がっていますが、今は東京23区内に収まっている状況です。
お遍路コースでは「納経をする」「朱印をもらう」「八十八ヶ所全ての寺院を巡礼する」が主に行われます。
巡礼に関してはお寺にお経を納めることによって、巡拝者の祈願をご本尊に伝えることが趣旨です。
納経では般若心経を書き写して納めるのが基本ですが、十句観音経など短いお経でも構いません。
般若心経を初めて納経すると1時間近くかかるので、八十八ヶ所全てのお寺を巡礼する場合は短い時間で済ませることができる十句観音経の方が向いているでしょう。

■お寺巡りとは違う御府八十八ヶ所

御府八十八ヶ所は「同行二人」の信仰を深めるための修行の一つで、お寺巡りとは少し違った意味を持ちます。
お参り中は「南無大師遍照金剛」という弘法大師の御宝号を心の内で念じながらお参りしてください。
その中で自分なりの規律を決めてお参りすることで立派な仏教修行になります。
「巡礼中は不平不満を言わない」「道中での出会いを大切にする」など自分なりの決め事を作ってみてもいいかもしれません。
龍生院では本堂・大師堂でお参りすることになります。
大江山の鬼を退治した渡邉綱の屋敷跡には、史跡として渡邉之綱産湯の井戸が残っています。
第十三番札所の参拝と一緒に龍生院の敷地内にある史跡や札所標石、景色などを目にすることができるでしょう。
では、ここで御府内八十八ヶ所霊場である龍生院についての口コミを見てみましょう。

【口コミ】

“大通りから一本外れた住宅街にあります。出入り口は二箇所あり正面右側には龍生院の表記が、左側には弘法大師の表記が書いてある石があります建物は近代的で立派で頑丈なビルで境内は狭く整備された石が敷かれていました。”

“イタリア大使館近くにあるお寺で、正式名は三田高野山弘法寺龍生院と呼びます。
高野山金剛峯寺を総本山とする高野山真言宗に属し、弘法大師を本尊とする歴史ある寺院で、御府内八十八ヶ所霊場の第十三番札所にあたります。
本堂がモダンアートの様な建築物で、白い壁が目立ち、見応えあります。”

御府内八十八ヶ所霊場の第十三番札所の巡礼として訪れた人の中には、標石や古井戸の史跡などがあることを知らず納経に来ている方も多いようです。
龍生院は本来歴史ある古いお寺ですが、100以上に渡る本堂をそのまま再現されています。
当時の建材を使った柱や梁を生かし、新しい建物の中にも歴史の趣を感じることができます。
龍生院付近には大使館など歴史建造物が立地していますが、住宅街からは少し離れているので人ごみの少なさやアクセス面などは良好です。
御府内八十八ヶ所霊場のお遍路コースとしても魅力的な環境にあるのではないでしょうか。

龍生院についての口コミ&評判を分析

龍生院は御府内八十八ヶ所霊場としての役割があるため、どなたでも気軽に訪れることができるお寺であることがわかりました。
では、実際に龍生院がどのような寺院であるか詳しく紹介していきましょう。

■龍生院の特徴

龍生院の正式名称は「高野山弘法寺」と言い、東京都港区三田2丁目12-5に所在しています。
1200年もの法燈を継承し、大師信仰に現代社会を共存させた次世代の参拝・納骨スタイルを取り入れている寺院としても有名です。
寺院内にはエレベーターや最新自動機を導入し画期的な構造が完備されていますが、供養や納骨などの内容はこれまで通りの作法で行われています。
龍生院のエントランスや廊下には木製のルーバーが連なっており、参拝などを行う祈りの場も落ち着いた空間で法要できるよう工夫されています。
また、龍生院が立地している三田2丁目は「地震に関する地域危険度測定調査」において安全性の高いエリアであることから、訪問する際の安心材料にもなるでしょう。
耐震基準をクリアした安心設計で建設された建物や、世界有名企業のトヨタ自動車による自動搬送システムは他の寺院には見られない特徴として取り上げることができます。

■龍生院の各フロアを紹介

龍生院はコンクリート製の5階建ての建物内に各フロアを設けています。

【B1】斉場・客殿・控室
【1F】参拝室・無量寿・浄菩提/受付・エントランス・寺務所
【2F】納骨室・客殿/副本堂
【3F】納骨堂・客殿/本堂
【4F】参拝室・八葉・大乗

3階は熟練技を持つ官大工職人によって、100年以上の歴史深い本堂がそのまま再建されています。
建材は新しいものを使用していますが、本堂で重要となる柱や梁などについては当時の建材を再利用しているのも特徴です。
複数階に設けられている参拝室は、参拝者が穏やかな気持ちを保てるよう独立型を採用しました。
完全プライベートな空間で過ごすことができるので周囲の目を気にする必要がありません。
寺院内には足や目の不自由な方のために、エレベーターが設置されています。
上階から下階までスムーズに移動することができるので、安心して訪問することができるでしょう。

■龍生院に訪れた人の口コミ

龍生院は交通の利便性も良くお参りするための設備が完備されているので、お寺選びに悩む方から注目されています。
龍生院を訪問した人の口コミや評判など気になる方も多いかと思うので、ここで龍生院に関する口コミを見てみましょう。

“JR田町駅西口から国道15号を渡り慶應商店街を抜け桜田通りを東京タワー方面に進むと慶應義塾大学東門、三田春日神社の先の龍生院に歩いて15分ぐらいで着きます。龍生院は三田高野山弘法寺龍生院で高野山金剛峯寺を総本山とする高野山真言宗に属し弘法大師を本尊とする歴史ある寺院です。本堂はモダンな近代的な建築物で見ごたえあります。境内に渡邊綱の産湯の水を汲んだと伝えられる古井戸がありますので訪問をお奨めします。”

口コミではアクセスの利便性や外観の印象などが多く見つかりました。
寺院内は格式高い本堂となっていますが、外からはホテルのような見た目で重圧を感じずに訪れることができるといった印象が強いようです。

葬儀や法事など法要に関する口コミはありませんでしたが、龍生院では納骨や永代供養なども行っています。
参拝時間は年中無休で10:00~19:00までの間であればいつでも参拝できます。
突然供養に出向いてもお花やお線香などは龍生院の方で用意してもらえるので、手ぶらで気軽に訪問することもできるでしょう。
近年ではお墓などの後継ぎで親族に負担をかけたくないという人が増えてきました。
生前に自分のお墓を準備するという終活は、特に都内に集中しているようです。
継承をしない世帯も増えてきていることから、龍生院のような永代供養を依頼する人が多くなっているのでしょう。
龍生院は、故人の遺骨を引き受け永久的に供養・管理をお任せすることもできます。
多くのお寺では宗派は宗教によって法要を断られるところもあるのですが、龍生院ではどの宗派に属していても法要を執り行なうことができるのです。
お布施や寄付を強要されることもありませんので、良心的な値段で葬儀・供養を行うことができます。

龍生院の口コミ&評判を総括

今回は御府内八十八ヶ所霊場の一つである「龍生院」について詳しく解説してきました。
龍生院は一般的な寺院として葬儀や供養などの法要を執り仕切る場でもありますが、御府内八十八ヶ所霊場巡りとして訪れている方も多いようです。
その中で近代的でモダンな本堂や、羅生門の鬼退治で知られる平安時代の武将「渡邊網」の屋敷跡にそのままの姿で残された渡邊網産湯の井戸、札所標石などを堪能することもできるでしょう。
八十八ヶ所の寺院巡りをしている中で参拝を希望する場合は、何も持たずに本堂でお参りすることができます。
先祖供養ではお花やお線香を添えるこが基本になりますが、龍生院ではいつでも気が向いた時に立ち寄ることができるよう、寺院側で全て備品が準備されています。
近年では、お墓参りや先祖供養などの習慣が薄れてきていることから故人に対する敬いの気持ちや自分を正す機会が少なくなってきているようです。
龍生院のような永代供養を受け入れる寺院に納骨や法要を依頼すれば、自ら寺院に立ち寄ることもなくなってしまうかもしれません。
お墓を受け継ぐ子どもがいなかったり、維持管理ができない人にとっては非常にありがたいシステムです。
しかし、参拝室でゆっくり故人を思うことによって自分の中の気持ちを落ち着かせることができるのないでしょうか。
故人の気持ちとしても誰もお参りに来ないと隣近所に顔が立たないといったちょっと寂しい気持ちになるかもしれません。
できるだけ大勢で出向いた方が喜ばれますし、何より故人とのコミュニケートの場として利用することができるのではないでしょうか。
龍生院は都心からのアクセスも良く、人ごみのない静かな環境に立地しています。
御府内八十八ヶ所霊場巡りとして立ち寄ってみるのもおすすめですが、散策がてら気軽に訪ねてみても良いでしょう。
御府内八十八ヶ所霊場としての役割を持つ龍生院に興味がある方は、一度参拝に訪れてみてください。

 

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